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  研究報告会・イベントスケジュール
研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日 時: 2023年 5月13日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「シーボルト来航 200 年記念 ~シーボルトと絆を深めた人々~」

・講 師: 石山 禎一 (いしやま よしかず)
     東海大学元非常勤講師
     日本シーボルト協会幹事 法政大学文学部史学会評議員

講演聴講:無料 一般公開 予約不要 どなたでも聴講できます。


2023年 築地居留地研究会・年間スケジュール

 2023年の年間スケジュール表です。
 (2023年4月1日更新)
 <クリックで拡大します>

研究報告会
・日 時: 2023年 3月25日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「築地外国人居留地と食の西洋化」

・講 師: 仲光 克顕
     中央区立郷土資料館総括文化財調査指導員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、中央区郷土資料館総括文化財調査指導員であり、数々の発掘調査を手がけられている仲光克顕氏に築地外国人居留地を含む多くの発掘調査から分かる当時の食生活の西洋化についてご講演をいただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。。
<写真クリックで拡大します>   

水野雅生 理事長の挨拶

仲光 克顕 氏

今回の定例研究報告会は、今まで建物、人物、文書等を対象とする報告が多かった中、旧築地居留地の発掘調査の結果から、当時の建物の推定、出土した食器、瓶、生活用具、獣骨、貝殻等からその時代の文化及び住人の日々の生活までを調べていくという考古学の視点からの報告で、大いに興味が持たれた。発掘する場所により出土品に特徴があり、築地居留地跡からは食に関する外国人の西洋衛生観念が見られたという。

都市部の発掘調査に関しては、当該地区の再開発などタイミングの問題もあり、既存建物の解体後の更地になる時を見計らって実施する必要があり制約が多い。また明治以降の遺跡調査は法律上難しかったなど、異なる制約もある。
旧築地居留地の発掘調査も区立明石小学校および周辺地区の建て替え時に実施することが出来たレアケースであり、居留地全体の発掘調査が出来た訳ではない。
ともあれ、仲光講師から深い内容を分かり易く説明して戴き、我々が生活している地面の下に歴史を紐解くヒントが眠っているという新たな知識を与えられたことは感謝であった。

また築地居留地時代の食生活に関し、過去に報告のあった「築地居留地の料理人」というテーマからそのレシピを読み解き実際の料理を再現された、本研究会長谷川理事夫人の長谷川和子さんの話、またそのレシピを基に料理の再現をドキュメンタリーとして製作した東京大学大学院東出りささんの紹介も行われた。
他に日本近代史の新刊紹介が教文館 倉澤智子さんからあった。

今回の報告会には興味深いテーマということでご参加いただいた、中央区長の山本泰人氏からご挨拶をいただいた。
参加者は定員50名の所、雨模様にもかかわらず65名と盛況で、質疑応答も活発に行われ参加者の興味が非常に高かったものと思われた。


講演会風景

講演会風景

講演会風景

講演会風景
仲光氏スライドの一部 仲光氏スライドの一部 築地居留地の料理人レシピを基に料理を再現
された長谷川和子 理事夫人
ドキュメンタリーを作成した「築地居留地の料理人」
研究会 東京大学大学院 東出りささん
   YouTube再生は <こちらから>

日本近代史の新刊紹介をする
教文館 倉澤智子さん

講演会に参加頂いた
中央区長 山本泰人氏

集合写真

集合写真
研究報告会
・日 時: 2023年 1月28日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「草創期の立教女学校」

・講 師: 伊藤 泰子
     本研究会理事 元立教女学院資料室委員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、本研究会理事であり、元立教女学院資料室委員の伊藤泰子氏にお願いし、草創期の立教女学校(現在の立教女学院)の歴史と職員、生徒の生活などについてご講演をいただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
<写真クリックで拡大します>   

 伊藤泰子理事

 

アメリカ聖公会初代日本伝道主教、立教創立者、日本聖公会の開祖であるチャニング・ムーア・ウィリアムズは、グリフィスが彼の著書『ミカドズ エンパイア』の中で、アメリカが日本に贈った4人の最高のプレゼントの一人として、G・H・F・フルベッキ、J・C・ヘボン、S・R・ブラウンと共に伝記を著そうとした。
しかしウィリアムズの伝記はかなわなかった。離日の前ウィリアムズは自らの書簡や説教のメモを焼き、弟子たちにそれらの出版を許さなかったからである。何事にも質素倹約で有名であるが、主教の給料のごく一部で生活し、大部分は教会建築、学校運営などに充てた。
アメリカバーモント州リッチモンドで生まれたウィリアムズは、キリスト教の高札が取れる前、27歳の時に上海から長崎に、そして大阪から東京へ。築地居留地内に、立教中学、立教大学、立教女学校を設立。
生涯独身で、主教の職を退いた後も、日本に留まり、日本語の話せる宣教師が必要と考えて全国各地を伝道して回った。1908年79歳の時にひっそりとリッチモンドに帰郷。衰弱した中でも日本語で祈祷する日々を送り、1910年81歳で世を去った。

ウィリアムズの意志により、1877年若山儀一を校主として湯島4丁目綾部藩の九鬼邸で立教女学校の開校届が出された。
初代校長はC・T・ブランシェ―司祭。女性の教育のためには女性の教師が必要と考え、ミス・ピットマンを第2代校長に、第3代校長にミス・リディックを据えた。当時の教育は、女性アメリカ人教師たちによる英語を中心とした欧米の文典だったり歴史だったりした。ミシンを使って洋服を仕立てたり、オーブンを使って料理をしたり、編物なども習っていた。
当時の卒業生たちは、英語は達者で、アメリカの地理なども詳しく知っていたが、日本のことはほとんど知らないという状況だった。これを憂いた日本人聖職者・教師たちが、ウィリアムズ退職後1891年に来日したヘーア臨時主教に、校長を日本人に、せめて教頭だけでも日本人にと要請した。
ヘーア臨時主教によって改革がなされ、第5代校長に清水友輔、教頭に石井亮一を据え、経済的にも独立し、若干のスカラシップと宣教師にかかる費用、校舎の修繕費を除いては、ミッションからの補助は受けなくなった。大変な苦労を背負った小宮珠子は、1902年同志会を設立し卒業生たちなどからの寄付を集めこの難局を乗り切った。1923年9月の関東大震災まで、教会の鐘の音が響く築地居留地で穏やかな教育が行われていた。



講演会風景(1)

講演会風景(2)

講演会風景(3)

講演会風景(4)

参加者から花束を貰う伊藤泰子理事

集合写真
研究報告会
・日 時: 2022年 11月26日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「ペリー来航と開港地 下田」

・講 師: 尾形 征巳 (おがた まさみ)
     下田開国博物館 館長 下田郷土史研究会事務局長
     南伊豆町史編集委員

定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、下田開国博物館の館長 尾形 征巳氏をお招きし、ペリー来航と下田開港についてご講演をいただくことになった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶と説明があった。
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水野雅生理事長の挨拶と説明

尾形征巳氏

尾形征巳氏の著書

(講演のポイント)
  ○ 下田の歴史上の位置づけ
  ○ アメリカが日本に開国を求めた理由・ペリーの日本遠征の目的
  ○ そのころの日本と下田の海防
  ○ なぜ下田が日本最初の開港地となったか
  ○ 日米和親条約付録下田条約の交渉
  ○ 欠乏品(薪水食糧の他、反物、漆器、紙、下駄など土産品)の供給・日米貨幣
    の交換比率
  ○ 下田奉行所と開港場としての諸機関・施設
  ○  ペリーの下田評価、下田庶民の対応
  ○  ペリー来航以後-ロシア使節来航・アメリカ総領事ハリス等など

1853年7月8日ペリーが蒸気船2隻を含む4隻で浦賀沖に来航、大統領の親書を渡し翌年の回答を申し入れた。翌1854年2月13日ペリーは再来、1854年3月31日、日米和親条約が締結され下田が開港の運びとなった。その後さまざまな経緯の後諸外国との交流が始まりあらゆる文化、技術などが日本にもたらされることとなった。
尾形氏はその始まりとして下田開港の時期に行われた取り決め、米国側・日本側の対応などについて講演いただいた。
ペリーは日本がほぼ未開の国だと評価していたところ、実際の日本を見て意外と清潔でありアメリカより進んだ点もあると認識を新たにしたという話が印象的であった。下田の住民が外国人を恐れず親しみやすくしたのは下田の風土であるという点では尾形氏の「下田愛」のようなものを感じた。

講演に先立って、尾形氏から館長をつとめる下田開国博物館が今月リニューアルを完了し、新たに映像ホールを設けビジュアルに下田の歴史を紹介するなどバージョンアップしたので、是非訪れて戴きたいとの話があった。
この点参加者の中からも、下田は燃料、水および食料品の供給以外に反物や漆器などの販売が行われ、いわば居留地の産みの親とも言うべき場所であることを知らされ、是非一度訪問したいとの声が多数寄せられた。

講演終了後、活発な質疑応答がなされ、16時に1階の教会入り口で集合写真を撮り解散となった。
尚、今回は東京ベイネットワーク(株)のTVカメラが入り講演会の内容が撮影された。
ケーブルテレビ接続世帯であれば12月4日~10日の間に視聴が可能との事である。


講演会風景(1)

講演会風景(2)

集合写真(1)

集合写真(2)
第14回外国人居留地研究会2022年全国大会・長崎大会
・日 時: 2022年 11月19日(土)・20日(日)

   一日目 11月19日 基調講演  各居留地研究会発表
   二日目 11月20日 史跡見学

・場 所: 長崎大学経済学部新館 101教室

・テーマ:「うつりかわる文化と生活様式
      ~居留地、雑居地、そしてわが町~」

第14回外国人居留地研究会2022年全国大会・長崎大会は、コロナ問題で当初の予定より2か月遅れの11月19日(土)と20日(日)の二日間にわたり長崎大学経済学部新館101教室にて開催された。
今回は現地(対面)参加と通信(ZOOM)参加のハイブリッド形式での開催。
今回の大会のテーマは「うつりかわる文化と生活様式~居留地、雑居地、そしてわが町~」で、下記式次第で発表された。

一日目・11月19日(土)
第一部 基調講演 (13:40~14:40)
    ブライアン・バークガフニ
    長崎総合科学大学特任教授 グラバー園名誉園長
   「うつりかわる長崎居留地~居留民子孫が見た交流の軌跡~」

第二部 各居留地研究会発表 (14:45~17:50)
・函館 倉田有佳 「ロシアホテルの元従業員を介して生まれた明治初期の函館パン文化」
・新潟 鈴木孝二 「新潟の洋風文化生活に貢献するクリスチャン実業家大橋正吉の
          信仰生涯と大橋商店の歩み」 
・築地 野口孝一 「築地外国居留地における雑居地に関する資料」
・横浜 斎藤多喜夫「外来と在来の角逐」
・川口 井上邦久 「大阪と中国人」
・神戸 海老良平 「神戸、阪神間と珈琲-うつりかわる文化と生活様式
          ~居留地、雑居地、そしてわが町~-」
・長崎 藤本健太郎 「長崎の貿易商人による同業組合の形成過程について」

パネルディスカッション
ポスターセッション見学会
例年発表後、各居留地研究会の交流の場として、主催者による夕食会が設けられてきましたが、今回はコロナ問題で執り行われませんでした。
築地居留地研究会参加者で夕食は海鮮料理を頂く。
<写真クリックで拡大します>   

姫野順一 長崎大会実行
委員会会長挨拶

ブライアン・バークガフニ氏基調講演

基調講演

築地居留地研究会
野口孝一理事発表

横浜外国人居留地研究会
斎藤多喜夫会長
ZOOM発表


パネルディスカッション

ポスターセッション

夕食・食事会
二日目・11月20日(日)
10:00~11:30 長崎研究会主催 グラバー園見学
11:45~12:30 昼食 四海樓(中華料理)
12:45~14:00 築地研究会会員 唐人屋敷見学
       長崎大学南森茂太先生の案内
14:15~15:30 築地研究会会員 シーボルト記念館見学
       徳永宏館長の説明案内
15:45~17:00 築地研究会会員 出島見学

今回初めてのハイブリッド形式で開催され、全体としては合わせて80名を超える参加者。築地居留地研究会からは、水野雅生理事長をはじめ現地参加者12名、通信参加4名。
基調講演では、日本に残っている資料ではなく、かつて長崎に居留していた外国人の子孫から収集した写真、日記などから当時の様子を知る貴重な資料の紹介と説明がなされた。
また、各地研究会から、基本テーマに沿ったそれぞれの視点からの発表がなされ、それぞれの居留地のうつりかわる文化と生活様式を垣間見ることが出来ました。
発表後、長崎大学経済学部の生徒さんたちによる長崎外国人居留地のポスターでの研究発表もありました。将来彼らの中から外国人居留地研究者が育っていってくれればと願います。
この度は、築地居留地研究会からは、シーボルトの子孫関口忠相氏と長崎唐通事平井家子孫平井靖人氏も参加され、特に2日目の唐人屋敷見学、シーボルト記念館・出島見学はより意義深いものとなった。
全国大会開催に先立ち開かれた全国居留地研究会代表者会議にて、2023年度全国大会は大阪(川口)で開催される事に決定。9月22,23日川口基督教会での開催を予定。
テーマは各研究会が取り組んでいるそれぞれのテーマでの発表を予定。


グラバー園 (1)

グラバー園 (2)

グラバー園・
自然冷蔵庫入口

長崎ちゃんぽん・
四海樓

唐人屋敷・
南森茂太先生

唐人屋敷

シーボルト記念館・
徳永宏館長

シーボルト記念館

出島 (1)

出島 (2)

出島 (3)
中央区まるごとミュージアム
・日 時: 2022年 11月13日(日)
     講 演: 14:00 ~ 15:00
     街歩き: 15:00 ~ 16:00

・場 所: 築地カトリック教会 2階ホール

・テーマ: 「歴史散歩、かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」

・講 師: 中島 耕二
     本研究会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

NPO法人築地居留地研究会、水野 雅生理事長の挨拶の後、中島氏によりパワーポイントを使って日本各地の居留地が生まれた時代背景、築地居留地の推移及びその特色などについて詳細な講義が行われた。参加者は皆関心をもって熱心に聴講していたのが印象的であった。
築地居留地は海が浅く大型船が入港できず、また狭隘で地代も横浜に比べ割高であった為貿易商人に敬遠され、代わりに宣教師や外交官が多く住み、その為ミッションスクール及び各国の公使館・領事館が多く建てられ、他の居留地とは異なる薫り高い文化の発祥地となった。残念ながらその異国文化の雰囲気があふれる街並みは、1923年の関東大震災により全てが焼失してしまった。
本日の資料として配布した築地居留地の鳥観図コピーは当時を思い起こす唯一の貴重な資料である。講演終了時には活発な質疑が交わされ、その後教会正面で集合写真を撮り、各20名弱の2班に分かれ、居留地歴史MAPを手に居留地内にある碑をめぐる街歩きを行った。
引率・説明は中島 耕二理事と村上 伊作理事が行った。街歩きは終盤小雨が降り始めたが、ほぼ予定通りのコースを周ることが出来た。 参加者:38名
薮 純夫 記 
<写真クリックで拡大します>   

水野理事長の挨拶

中島耕二氏

講演参加者

集合写真

街歩き 村上理事

街歩き 中島理事

街歩き

街歩き
研究報告会
・日 時: 2022年 9月24日(土) 14:00~16:00

・場 所: カトリック築地教会 2階
     東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「築地居留地とタムソン宣教師」
      兼 『タムソン書簡集』出版記念会

・講 師: 中島 耕二
     本会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

・講演聴講: 無料 一般公開 予約不要 どなたでも聴講できます。



定刻となり薮純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
今回の研究報告会は、当初9月に予定されていた長崎での全国外国人居留地研究会大会がコロナの流行により、11月に延期となったことから急遽開催が決まったため、中央区報に内容を掲載出来ないことになり一般参加者への周知が足りず、また当日は台風15号の影響で強風・豪雨もあり、参加者は25名と通常の定例報告会にくらべかなり少なかった。広報の重要さは今後の反省点としたい。しかしながら中島先生の講演は熱がこもっており、台風など吹き飛ばさんばかりの内容であった。
講演に先立って本研究会水野雅生理事長から挨拶、及び11月13日開催予定の「中央区まるごとミュージアム」で本研究会主催の「歴史散歩、かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」、11月19日~20日開催の「第14回外国人居留地研究会 2022全国大会in長崎」および11月27日の定例報告会「ペリー来航と開港地・下田」についての案内説明があり、講演終了時にはあらためて中島先生の編集による『タムソン書簡集』の説明がなされた。

<写真クリックで拡大します>   

水野雅生理事長の挨拶
と説明

中央区まるごとミュー
ジアム・ロゴマーク

中島耕二先生の講演
■ 講 演 14:15~15:50
文久3年(1863年)にアメリカ・オハイオ州からプロテスタント・キリスト教宣教師として来日し、横浜滞在を経て明治元年(1869年)から大正3年(1914年)まで足掛け45年間、最も長く築地居留地に住み続け、キリスト教の伝道と共に日本の近代化に尽くしたデビッド・タムソンの生い立ちからその生涯を詳しくそして熱く語っていただいた。
・大鳥圭介、安藤太郎、大槻文彦、田口卯吉らへの英学教授
・新栄教会を始め多くの教会の創立と著名信徒への授洗
・南校(東京大学の前身校)の教師
・明治政府の米欧視察団のコンダクター兼通訳
・切支丹禁制の高札撤去運動
・日本の石油開発事業への助言
・キリスト教による葬儀の自由の実現運動
・ハンセン病院の応援
・日本昔噺(桃太郎、舌切り雀など六話)の英訳
残念なことに上記のようなデビッド・タムソンによる数々の功績は現在、広く一般の知識として広まっておらず、特に残存する画像などは非常に少ないと言われている。
今回、講演により日本の近代化にタムソンが深く関係し、功績を残していることを教えられた参加者たちは新たな感動と理解を深めたものと思われる。
そして講演と共に紹介された中島先生編集による『タムソン書簡集』には、中島先生が実際に情報収集のために訪米された際、入手された未公開の画像なども掲載されており、築地居留地及びデビッド・タムソンの事績を確認する上で非常に有益な書籍であると思われた。
薮 純夫 記 
 
デビッド・タムソンと
夫人子供たち

講演会風景

講演会風景

集合写真
研究報告会
・日時: 2022年 7月30日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2Fホール及び1F聖堂
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「築地居留地と銀座十字屋」
      ~築地居留地で洗礼を受けた4人の創業者たち~

・講 師: 中村 千恵子 ㈱銀座十字屋 取締役会長
      倉田 恭伸  ㈱銀座十字屋 代表取締役社長

・ハープ演奏: 田中 淳子 銀座十字屋ハープ&フルートサロン講師

■ 講 演 14:00 ~15:20
定刻となり薮 純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
本報告会は以前から開催準備をしていたが、新型コロナ感染の影響で過去3回にわたり延期を余儀なくされており、今回は何とか開催に及んだことは誠に喜ばしい。
講演に先立って本研究会水野 雅生理事長の挨拶、続いてシーボルト6代目子孫の関口 忠相氏から舞台「シーボルト父子伝~蒼い目のサムライ~」(8月10日~14日於:築地本願寺ブディストホール)の説明があり、主演女優の鳳 恵弥(おおとり えみ)さんの紹介がなされた。
最初に中村 千恵子(株)銀座十字屋取締役会長の挨拶・説明に続き、(株)銀座十字屋代表取締役社長 倉田 恭伸氏により「銀座十字屋 傍流を歩む気質 その原点とこれから」と題してパワーポイントの映写による講演がなされた。
十字屋の開設に深く関与した4人は、原 胤昭(はら たねあき)、鈴木 舎定(すずき いえさだ)、田村 直臣(たむら なおみ)、戸田 欽堂(とだ きんどう)であり、4名とも米国長老派宣教師のカロザースから洗礼を受けた。明治7年の創業から概ね150年を迎える銀座十字屋の歴史について、関連する人名や漢字名等をPCのアプリを使用して発音を聞かせるなど、倉田社長の工夫とわかりやすい軽快な説明により参加者は大いに理解を深めたと感じた。
<写真クリックで拡大します>   

中村千恵子
取締役会長

倉田恭伸
代表取締役社長

講演会風景

講演会風景
■ ハープ演奏(田中 淳子先生) 15:30 ~16:00
会場を1階聖堂に移し、カトリック築地教会レオ・シューマカ神父の挨拶のあと、銀座十字屋ハープ&フルートサロンにて講師をされている田中 淳子先生により、6曲の著名な曲の演奏とハープの構造などについて説明がなされた。
まさしく「天上の音楽を表現する楽器」のたとえのとおり、田中先生のテクニックによるハープの音色、それに聖堂の高い天井が生み出すホールトーン効果が加わり、得も言われぬ心地よさが広がり参加者は心を揺さぶられたであろう。予定の6曲が終了した後、参加者の「アンコール!」によりコーヒールンバが追加演奏された。一方、ハープの構造などについても説明がなされたが、47本の弦が3色に色分けされていることや、下部にある7つのペダルを操作することにより、ミとファあるいはシとドのように半音が並び、連音で弾いた時に不協和音とならないように調整ができるメカニズムなど、参加者は演奏終了後実際にハープの近くに集まり興味深く確認していた。
演奏終了後解散の前に教会正面で集合写真を撮影し、本日の研究報告会を終了とした。なお、後日会員からメールで「今でもハープの素晴らしい音色が耳に残っています」という声が寄せられた。

 
ハープ演奏
田中淳子先生

田中淳子先生

ハープの構造を教えて
もらう会員

集合写真
理事会
・日時: 2022年 6月23日(木) 10:30~13:00

・場所: 銀座パウリスタ 2階サロン

研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日時: 2022年 5月28日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「~次世代に伝えたい日本のこころ~
        シーボルトと熊谷五右衛門義比」

・講 師: 中村 麻美 (なかむら まみ)
       画家・挿画家、(資)アトリエ麻美乃絵代表
      元NHKBSニュースキャスター
・ゲストスピーカー: 江口 伊織 (えぐち いおり)
      熊谷五右衛門11代目当主、萩市熊谷美術館理事長

■ 研究報告会 14:00 ~16:00
定刻となり藪純夫事務局長の司会で研究会をスタート。
毎年5月の研究会は「あじさい祭り」と銘打ってシーボルトにまつわるテーマで報告会を開催しているが、今年は画家の中村麻美氏をお招きしてお話を戴くこととした。
講演に先立って本研究会水野理事長の挨拶、続いてシーボルト6代目子孫の関口忠相氏および会場を提供戴いたカトリック築地教会レオ・シューマカ神父からそれぞれご挨拶を戴いた。
加えて去る3月に中島耕二理事が教文館から『タムソン書簡集』を出版し、その著書の紹介が行われた。
<写真クリックで拡大します>    

司会の藪純夫事務局長

シーボルト6代目子孫の関口忠相氏

水野理事長と中島理事
(著書出版の紹介)

本日の講師の中村麻美氏は、チラシの略歴にもある通り各方面で活躍されており、画業では日本武道館発行の月刊誌『武道』の表紙絵を2008年から描き続けておられ、大型画集の出版もされている。
本日は、多数の作品の中から「次世代に伝えたい日本のこころ」のテーマに沿って22作品を厳選され、それぞれの作品の制作意図および作品の歴史的背景について、詳しい解説を戴いた。教科書などに出てくる話の他に、あまり知られていない歴史逸話の作品もあって興味深く聴き入った。
同氏はテレビ放送でキャスターをされていたことから、話が明快でテンポも良く、さすがプロと感じさせられた。
 
講師の中村麻美氏

中村麻美氏の自己紹介

講演のレジメと熊谷家のこと
 
作品説明 「熊谷五右衛門義比
とシーボルトのピアノ」

作品説明 「鉢の木」

講演に聞き入る参加者

講演の半ばに「あじさい祭り」のテーマに相応しい、「熊谷五右衛門義比とシーボルトのピアノ」について、熊谷家11代目で熊谷美術館理事長の江口伊織氏から「ピアノ」の由来について解説を戴いた。シーボルトと長州藩萩の豪商の熊谷家とは中々結びつかなかったが、熊谷家4代目の義比が蘭学に関心を寄せ、シーボルトの私塾鳴滝塾長であった岡研介を支援した関係で、シーボルトと知己を得て彼の帰国前(1828年)にピアノを譲り受けたという経緯を教えられ、なるほどと納得がいった。
このシーボルトゆかりのピアノは、1955年の調査で日本最古のピアノであることが立証され、現在も現役としてコンサートで奏でられ200年前の音色で現代人を魅了し続けている。

江口伊織氏

江口伊織氏

中村麻美氏 ピアノの説明

中村麻美氏の画集

礼拝堂正面で集合記念写真

こうした説明を聞いて、改めて中村氏の「「熊谷五右衛門義比とシーボルトのピアノ」の作品を観ると、当時の憧憬が浮かんできてより親しみを覚えさせられた。
今回の講演によって「日本最古のピアノ」がシーボルトにつながることを知って、益々シーボルトの日本に残した事績の深さを知らされることになった。講演の終わりに、中村麻美氏および江口伊織氏に参加者から惜しみない拍手が送られた。
従来、例会では講演後旧居留地ミニツアーおよび講演者との懇親茶話会を催していたが、コロナ流行下しばらく中止とし、今回もまだコロナ収束に至っていないことから、これらのプログラムをスキップした。
解散の前に教会堂正面で集合記念写真を撮って、本日の研究報告会を終了とした。

研究報告会
・日時: 2022年 3月26日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「明治大正期の女子教育者・櫻井ちか と ガントレット恒
      -櫻井女学校(女子学院の前身) や櫻井女塾に関連して-」

・講 師: 遠藤 由紀子(えんどう ゆきこ)
      博士(学術)、昭和女子大学歴史文化学科非常勤講師、
      女性文化研究所研究員


■ 研究報告会 14:00 ~16:00
2022年3月26日の定例研究報告会(講演)は、3月21日にまん延防止重点措置が解除されての開催であったものの、念には念を入れ万全なコロナ感染予防対策を敷いて行った。
  薮・新事務局長の司会で、冒頭水野理事長の挨拶があり、今回の講演者・昭和女子大学女性文化研究所研究員(歴史文化学科所属)の遠藤由紀子先生の紹介と今回の講演のテーマに掲げられた明治大正期の女子教育者「櫻井ちか」の曾孫にあたる倉辻明男さんの紹介がなされた。倉辻さんは、長年聖路加国際病院にお勤めになった方で、当研究会の薮事務局長の2年先輩にあたり、現在は聖アンドレ教会(港区芝公園)にてご活躍中との事。
  今回の講演テーマは「明治大正期の女子教育者櫻井ちかとガントレット恒―櫻井女学校(女子学院の前身)や櫻井女塾に関してー」であった。12ページに及ぶ詳細かつ系統だったレジュメと資料が配布され、講演内容を理解するのに大いに役立った。  
  櫻井ちか、一般的にはあまり知られていない明治大正期の女子教育者、いやもっと知られ評価されてしかるべき女子教育者だったことを今回の講演から感じさせられた。 
  明治5年、幕臣の娘であったちかは17歳で結婚。結婚まもなく夫櫻井昭悳(海軍士官)の理解を得て、学校に寄宿して英語を学ぶことに。明治7年に新栄教会のタムソンから洗礼を受ける。横浜の「共立女学校」(現、横濱共立学園)で学ぶと、明治9年に「私学開業願」を文部省に提出し、日本人による最初のキリスト教主義の女学校「櫻井女校」(櫻井女学校)を設立した。明治11年には山田恒(築地で音楽の才能が芽吹いた山田耕筰の姉、のちのガントレット恒)が数え6歳で入学している。実はこの櫻井女学校は、現在の「女子学院」源流の一つである。築地居留地には「女子学院発祥の碑」がある。櫻井女学校には、同年、全員通学生の「貧学校」を併設、さらに日本初の私立幼稚園「櫻井女学校付属幼稚園」も創立し幼児教育も展開した。この頃、一人娘となるふきを養女にしている。
  明治14年、ちかは、キリスト教伝道師となった夫と2歳になったふきと共に函館へ行くことになり、櫻井女学校の運営を矢島楫子(熊本四賢婦人のひとり)に委託、その後、函館(函館相生教会創立)・高知・愛知(大洲教会創立)・福井と各地を巡った。この間ちかは、函館師範学校女子部で教鞭を執り、「大阪一致女学校」(現、大阪女学院)の創立にも奔走している。
  そしてふきが、母の母校である共立女学校に入学し、寄宿舎生活を送り始めたこともあり、ちか自身は、明治26年、明治29年、明治40年の3回に分け、合計4年間アメリカに遊学した。
  ちかは、明治31年(ちか43歳)、文京区本郷向か丘彌生町三番地の自宅に女子寄宿舎を併設した「櫻井女塾」を創立する(津田塾創立⇒明治33年)。当時、明治学院2代総裁であった井深梶之助も教えに来ている。女子学院で教える梶之助の妻せきが、ちかの同窓生で懇意であった。その後、大正2年に東京音楽学校(現、東京藝術大学)を卒業したふき(ジャーナリスト倉辻明義(筆名倉辻白蛇)と結婚)、また大正5年に教え子だったガントレット恒も同校の教師に。講義科目は英語が専門ではあるが、和漢文、裁縫・編み物やピアノをはじめ、割烹、西洋料理もあった。
  ちかは、西洋料理や家事の効率化を図る欧米文化を知り、その知識を共有することで、日本の家庭改良を啓発した。明治大正期の女性雑誌を調べると、ちかは当時著名な「西洋料理研究家」であり、レシピ本を6冊も出版していた。岡本かの子(岡本太郎母)や人気エッセイストなど、バラエティ豊かな生徒が学んでいた。この頃、「女子の英語は津田か櫻井か」とまで世の信用を博していた。
  しかし、ちかの死後、櫻井女塾(櫻井女子英学塾と改称)は、戦前の英語教育排撃の煽りを受け、昭和16年に日本女子高等学院(現、昭和女子大学)英文科に合併され、今日に継承されている。櫻井ちかは、内面的支柱をキリスト教信仰に持ち、女子教育に強い信念を持ち、教育に一生をささげた女性だった。
  ちなみに、櫻井ちかの教え子山田恒(山田耕筰の姉)は、明治31年に英国人の教師エドワード・ガントレットと結婚しガントレット恒となった。日本で最初の法的手続きをした国際結婚を果たしていた。結婚の翌年、岡山に移住。岡山在住中に13歳年下の弟の山田耕筰を引き取り、面倒見ている。この時耕筰は、姉の夫エドワードから西洋音楽の手ほどきを受けており、この刺激が耕筰のドイツ留学へとつながる。
  大正初期に上京した恒は、櫻井女塾をはじめ、東京女子大学や自由学園で教鞭を執った。そして、日本基督教婦人矯風会(婦人更生、廃娼運動)、女性参政権運動、平和活動に貢献。久布白落実、守屋東と共に三羽烏と呼ばれた。昭和21年には矯風会会頭に就任、また日本婦人平和協会を発足している。
  おわりに「明治・大正期に生きた女性は・・・いつも常に向上心を持ち、人の役に立とうと、自分を常に研鑽し、律している。」というメッセージでもって講演が締めくくられた。明治をグローバルに颯爽に生きた女性から学ぶことはとても多い。
  ちかに関する学術論文があるので、読みたい方は事務局まで。
  また、遠藤先生は現在、会津藩家老山川家の女性に関する本を執筆中(『会津藩家老山川家の明治-山川二葉・山川操・大山捨松とその姉妹たち-』(仮)で、5月頃に発売予定との事です。楽しみにしてます。

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水野理事長挨拶

倉辻明男さんご挨拶

遠藤由紀子先生(1)
 
遠藤由紀子先生(2)

レジュメ&資料

櫻井ちか肖像
 
倉辻ふき女史(中央手前)

会場風景

参加者との懇親

集合記念写真

遠藤先生と倉辻さんご夫妻

倉辻明男さんと記念写真
研究報告会
※ 2022年 1月29日(土)の研究報告会は再延期します。
研究報告会は、新型コロナウイルスの感染急拡大を受け残念ですが、再延期する
ことに致します。
「築地居留地と銀座十字屋」の講演開催に関しましては後日改めてご連絡致します。


定期総会
※ 2022年 1月29日(土)の定期総会は書面総会に変更します。
定期総会に関しましては、対面による総会ではなく、前年同様書面による
書面総会に変更して行います。
書面総会に関しては、会員の皆様にはメールもしくは郵便にてご連絡致します。

研究報告会
・日時: 2021年12月4日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「居留地があった街をたどる」

・講 師: 菅原 健二 (すがわら けんじ)
      東京都市史研究家、司書
      令和2年3月まで京橋図書館地域資料室勤務

■ 研究報告会 14:00 ~16:00
14.:00 定刻通り定例会開始
大島理事の司会により本日のスケジュールと趣旨の説明があり、続いて水野理事長から開会の挨拶がなされた。
  本年度はコロナ禍の影響により、聖路加国際大学の教室が使用できず開催時期も変則的となっている。本日も築地カトリック教会のレオ神父のご厚意により、教会併設の場所を使わせていただくことにより開催することが出来た。
本日ご講演頂く菅原健二先生は京橋図書館の地域資料室に長く勤務されていたご経験を持たれ、中央区をはじめ東京江戸にまつわる貴重なお話が聞けるものと思う。

菅原先生のご講演
 本日は明石町を中心に歴史を掘り下げて話をしたいとの事で、資料はA3で6枚の紙に纏められ、参加者全員に配布された。
幕末に築地居留地が設置される以前の話が中心になるとの事で、資料には貴重な図が多く含まれていた。この図は京橋図書館でいつでも閲覧が可能とのことであった。
1. 都市・江戸の特徴
2. 江戸の町と人口構成
3. 江戸の水運
4. 江戸の経済を支えた湊の具体的施設=物揚場と河岸
5. 鉄砲洲の河岸と町
6. 築地居留地
7. 最後に

  菅原先生が提示された図によると、築地が地名として出るのは遅く、江戸の初期は今ある中央区の多くの場所が「海」であった。約100年かけて江戸が出来上がった経緯についてお話があった。中には普段多くの人が知らないであろうという事があり、例えば海上の島にある「砲台」について、有名なのが「お台場」であるが、浜離宮、越中島、佃島など築地のそばにも「砲台」があった。江戸は物資の大量輸送を目的とした水路(運河)が必須であった。幕末の明石町は本当に小さな地域であった。
  我々が良く知っている地名や川の名前が資料や菅原先生のお話の中に出てきたが、それらが江戸の歴史の中でどういう位置にあり、又、どういう働きをしていたのか、それを教えていただいたことはまさに「目からウロコ」の状態であった。

質疑応答・カトリック築地教会の見学
  本日の参加者は50名の予定であったが、69名と予想以上に多くのご参加があった。
講演終了後、質疑応答がいくつかあり、「中央区文化財MAP」「中央区絵図」、中央エフエムラジオシティによる菅原先生の「江戸の昔の河岸のお話」の紹介があった。
その後、カトリック築地教会の内部を自由見学し、参加者の記念撮影を行い散会となった。
(記:薮純夫理事) 
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水野雅生理事長挨拶

会場風景

菅原健二講師
 
レジメ

参考図

質疑応答
 
教会聖堂見学

集合記念写真
中央区まるごとミュージアム2021に参画
「歴史散歩 かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」
           
・日時: 2021年11月14日(日)

・場所: カトリック築地教会 2階

・募集:一般の方(会員以外の方) 30名(先着順) 事前予約制

■ 研究報告会 14:00 ~16:00
名所・旧跡、画廊・美術館、水辺など、豊かな文化環境に恵まれている中央区、まち全体がまさに「ミュージアム」になり、中央区の文化的魅力を発見・再認識して頂こうというイベントです。

今年は11月14日(日)に開催されました。 事前募集イベントまた当日イベント合わせて38のイベントが中央区のあちこちで繰り広げられました。

当築地居留地研究会は、歴史散歩「かつて中央区にあった外国人の街のお話と散歩」で参加。今年で4度目になります。

多くの参加申込を受けました。 当初予定していた定員30名を、コロナ収束傾向にあった事もあり、50名に増員し受付。 それでも残念ながらお断りをせざるを得なかった申込者もおられました。 それらの方々には12月4日(土)の定例研究報告会の案内をさせて頂きました。

 集合場所: カトリック築地教会 2階 
 ・14:00 ~ 14:05 挨拶 NPO法人築地居留地研究会 水野雅生理事長
 ・14:05 ~ 14:30 「築地居留地と音楽のお話」 中島耕二理事
 ・14:30 ~ 14:45 「カトリック築地教会の歴史のお話」 レオ・シューマカ神父
 ・14:45 ~ 15:00 「カトリック築地教会案内」 レオ・シューマカ神父、田中洋子さん
 ・15:00 ~ 16:00 「築地居留地史跡案内」 中島耕二理事、村上伊作理事
 ・16:00 散会
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会場:カトリック築地教会

会場風景

水野理事長挨拶
 
講師:中島耕二理事

中島講師:居留地鳥観図

中島講師:納所辨次郎
 
講師:レオ・シューマカ神父

旧・カトリック築地教会

集合記念写真
 
アンジェラスの鐘
 
カトリック築地教会内-1

カトリック築地教会内-2
 
カトリック築地教会前
 
アメリカ公使館跡地

明治学院源流の地
 
居留地跡地散歩
 
雙葉学園源流の地

指紋研究発祥の地

教会内・史跡は2組に分けての案内。 限られた時間の中での史跡案内でしたが、要所要所を案内。 多くの参加者から参加して良かったとの声。
アンケートの一部をご紹介します。
 ・ いつも通る道いろいろな歴史があることわかって大変おもしろかった。
 ・ この企画でとても有意義な時間を過ごさせて頂きました。
 ・ 築地が文化的先進の町だった事に驚きました。
 ・ 区や都の施設を活用しつつもっと拡張して欲しい。 大変興味深かった。

第13回全国外国人居留地研究会 2021 in 新潟
・日時: 2021年9月17日(金)

・場所: 新発田市敬和学園大学

・テーマ: 「居留地とリベラルアーツ教育」


外国人居留地研究会全国大会2021in新潟(新潟居留地研究会主催)は全面ZOOMでの開催となりました。
本来は昨年2020年9月新潟県新発田市の敬和学園大学で行われる予定になっておりましたが、コロナ問題で一年延期。
一年も有ればコロナ問題も十分収束しているだろうとの読みでした。ところが今年になって昨年を大幅に上回るコロナ第五波が到来。
これ以上延期は無理との判断で、今年も対面での開催は諦め、全面ZOOMで9月17日(金)に行われました

・12:00 ~13:00 全国代表者会議
・13:30 ~14:45 開会挨拶
■ 基調講演 「居留地なき開港場・新潟の成立と顛末」
  講師:青柳正俊 国立歴史民俗博物館研究員

・15:00 ~17:40
■ 研究発表 「居留地のリベラルアーツ教育」
  函館、築地、横浜、川口、神戸、長崎、新潟
  築地居留地研究会からは水野雅生理事長が
  「福沢諭吉とアメリカ長老教会宣教師カロザース夫妻」を発表。

ZOOM参加者 全国参加者合計70名(築地からの参加者12名)


全国大会の挨拶、各居留地発表内容(パンフレット)、バスハイク(新潟史跡案内)
および篠笛演奏は次のURLから参照できますのでご覧になって下さい。
     https://drive.google.com/drive/folders/1re_pvlhPLQlX1CFyh67LLNw09Ku_cIU_?usp=sharing


また、敬和学園パーム館の説明(動画)を次のURLからご覧になれます。
    https://www.youtube.com/watch?v=E0WDGYFnsZY


9月17日(金)一日のみでの開催。当初予定されていました大会後の月岡温泉での親睦会、
また翌日のバスハイクも残念ながらキャンセルとなってしまいました。
全国大会のもう一つの楽しみである各居留地の皆さんとの親睦・交流が出来なかった事は非常に残念ですが、コロナ状況から考え致し方無かったと思います。

急遽、対面開催から全面ZOOM開催への変更、新潟居留地研究会山田耕太会長、白砂誠一事務局長はじめ皆様のご尽力に感謝と敬意をはらいたいと思います。

研究報告会
・日時: 2021年7月24日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 「明治期の築地周辺に響いた音楽―延遼館・海軍兵学校・
       新富座と軍楽隊」

・講 師: 塚原康子 東京勢術大学楽理科教授

■ 研究報告会 14:00 ~16:00

水野雅生理事長挨拶

塚原康子講師

講演風景

講演レジメ


講演発表スライド-1

講演発表スライド-2
大島理事の司会により定例研究報告会をスタート。
まず水野理事長から、本来2021年1月の予定であった塚原先生の講演がコロナ禍のため順延となっていたが、今回塚原先生およびカトリック築地教会のレオ・シューマカ神父のご厚意により、感染防止処置を講じて開催できることになった。大勢の参加者を得て皆様に感謝申し上げます、との開会の挨拶が行われた。
続いて塚原先生の講演に入った。

塚原先生は江戸後期から近代に至る音楽史の専門家で、今回の講演では、
1.日本の軍楽隊と欧米の軍楽隊との関係
2.延遼館(旧浜御殿に建てられた外国要人の迎賓館)における音楽
3.海軍軍楽隊屯所の変遷
4.新富座での陸海軍軍楽隊の演奏についての各項目ごとにパワーポイントによる画像および貴重な音声によって、丁寧かつ分かり易く説明された。 特に音声は興味く聴くことができた。
従来、日本人と西洋音楽との最初の出会いは、嘉永6年(1853)のペリー艦隊軍楽隊による演奏と覚えてきたが、それより10年以上も前の弘化元年(1844)に長崎来航のオランダ艦隊パレンバン号軍楽隊による演奏が嚆矢で、佐賀藩主の鍋島直正も聞いたことを知り大いに啓発を受けた。

軍楽隊に続いて浜御殿(現在の浜離宮)延遼館における国賓接遇と音楽が紹介され、明治5(1872)年のロシア皇子アレクセイ大公接遇時には、早くも自前の海軍軍楽隊によってフェントン作曲<君が代>とロシア国歌が演奏されたとのことで、日本人による西洋音楽の吸収の早さに感心させられた。
さらに海軍兵学校・海軍大学および居留地隣接の旧新島原遊郭のあとに建てられた新富座においても陸海軍軍楽隊の演奏が行われていたことを紹介戴いた。

最後に先生は築地居留地近辺は讃美歌に加え、軍楽隊による西洋音楽の故地であるとして講演を終えられた。
音楽がテーマであっただけに、先生の軽快かつ重厚なテンポの良い説明に時間が過ぎるのを忘れるほどであった。

■ 質疑応答、カトリック築地教会の見学
講演終了後、質疑応答が幾つか行われた後、お知らせとして、9月17日(金)、18日(土)の第13回外国人居留地研究会全国大会新潟大会(於:新発田市敬和学園大学)の案内が行われた。
その後、カトリック築地教会の内部を自由見学し、参加者の記念撮影を行って散会となった。


 質疑応答-1

質疑応答-2

参加者記念写真撮影

カトリック築地教会
「江戸のジャンヌ・ルイーズ」
研究報告会 「築地あじさい祭り」
・日時: 2021年5月29日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 『シーボルトと日本の植物』

・講 師: 加藤 僖重(かとう のぶしげ)
      獨協大学名誉教授(言語文化学科)、牧野標本館客員研究員
      東京都立大学理学研究科(博士課程)理学博士

■ 研究報告会 14:00 ~16:00

水野雅生理事長挨拶

シーボルト6代目子孫関口忠相氏と女優鳳恵弥さん

加藤僖重講師

講演レジメ 「シーボルトと
日本の植物」


あじさいとオタクサ標本

講演風景
水野理事長から「あじさいまつり」開会の挨拶、続いてシーボルト6代目子孫の関口忠相氏と女優の鳳恵弥さんからご挨拶を戴いた。
今回も3月と同様コロナ禍が収まらない中、万全の予防処置を講じての定例報告会開催となった。会場を提供戴いたカトリック築地教会のレオ・シューマカ神父および多くの参加者各位に感謝申し上げる。

本研究会では毎年五月に「あじさいまつり」と銘打ってシーボルトの事績を辿っているが、今年は「植物とシーボルト」という切り口で加藤先生に講演を戴いた。
先生はここ30年以上にわたってオランダ・ライデン市にある国立植物学標本館、ドイツ・ミュンヘン市のバイエルン州立博物館、東京都立大学の牧野標本館および東京大学総合科学博物館等でシーボルトが在日中に集めた植物標本を調査・研究されているが、「これらの標本を観るごとに植物を通しての日蘭独さらには日欧の確かな文化交流を実感する」と述べられた。
シーボルトは在日中、日本のあらゆるものに関心を抱き、本国に夥しい数の現品を持ち込んだが、その中の「植物」だけを取り上げても、極めて専門性が高かった。
例えば生きた植物は長旅で枯れてしまうので、一旦ジャワ島(当時オランダの植民地)高地に移殖して休養を与えてから欧州に運ぶと言った工夫をし、その他は押し葉、押し花にして送りその数は数百種に及んだという。
また、コレクションは自身、オランダ人助手および日本人の門弟もその製作を手伝ったという。これはやってみせるという教育であった。
本日の講演によってシーボルトのさらなる超人性を知ることが出来た。

加藤先生の諄々と説明される姿は、どこかシーボルトが大事に一枚ずつ押し葉や押し花を製作しているかのようであった。


■ 旧居留地ミニツアーとあかつき公園シーボルト胸像見学 16:30 ~17:30
講演終了後、カトリック築地教会の内部を見学し、その後参加者記念撮影、旧居留地のミニツアーを行い、最後にあかつき公園に設置されているシーボルト胸像の見学と加藤先生の解説を伺って解散とした。
天気も良く聖路加国際大学キャンパスやあかつき公園に咲くあじさいを愛でることができた。


参加者記念写真

中島耕二理事居留地説明

藪純夫理事
トイスラー記念館説明

水野雅生理事長慶応義塾発祥
  の碑説明

加藤僖重講師シーボルト胸像前
での解説
研究報告会
・日時: 2021年3月27日(土) 14:00~16:00

・場所: カトリック築地教会 2F
      東京都中央区明石町 5-26

・テーマ: 『長崎と築地活版印刷所』

・講 師: 平井 靖人 (ひらい やすひと)
      長崎唐通事 平井家子孫13代目
      東京都日本中国友好協会 理事 、 皇宮警察桐栄会 会員

■ 研究報告会 ・ 質疑応答

カトリック築地教会(左)
聖ヨゼフ幼稚園旧舎(右)

水野雅生理事長挨拶

平井靖人講師

報告会資料

報告会風景


質疑応答・懇親 1

質疑応答・懇親 2

記念写真
今年に入りコロナ問題でまず1月定例研究報告会が延期となり、また3月度の定例会開催も危ぶまれていましたが、なんとか無事開催に漕ぎつける事が出来ました。
又この度は会場探しで苦慮する中、カトリック築地教会が隣接する聖ヨゼフ幼稚園・旧舎2階の利用を快諾して頂いての開催でした。
会場提供して頂いたレオ・シューマカ神父様に感謝致します。 コロナ禍の中52名の参加。

当研究会水野雅生理事長の開会挨拶の中で、「実は私は聖ヨゼフ幼稚園(1924~2008)の卒園生の一人です。ただ卒園時は戦争になり一旦休園になった為、卒園出来ませんでした。 卒園状を頂いたのは息子の卒園式の時でした。つまり私は息子と一緒に聖ヨゼフ幼稚園を卒園したわけです」と話され、聴講の方々の笑いを誘っておられたと同時に歴史を感じさせるお話でした。

さて、今回の研究報告は久しぶりに会員による報告・講演。平井靖人講師(中央区在住)は、実は長崎唐通事平井家の13代目子孫にあたります。
平井家歴代通事のなかでも明治政府になり単なる通事(通弁)に留まらず有能な官僚、外交官として活躍した10代目子孫平井希昌(義十郎)と、さらに長崎、築地活版製造所との関連についての研究・報告。

長崎における唐通事は1604年に在留明人に唐通事を任じたのが初めとされていて、以後日本語の出来る在留中国人とその子孫が原則として任じられる世襲制でした。ただその中でも平井家は日本人の唐通事の家系。唐通事の仕事は単に取引の通弁に留まらず、宗門改、績荷帳、風説書の翻訳・上申、来航者の管理、唐人屋敷の管理等の仕事も兼ねていた。

平井義十郎(1839年生まれ)は、唐通事であるものの幕府の命令で1858年に英国船乗組の中国人から英語を学ぶ。義十郎は24歳時の1862年に、後に「近代活版印刷の父」と言われる本木昌造と後に築地活版製造所を立ち上げた平野冨二が当時勤めていた長崎製鉄所の通弁業務に命じられます。 この時義十郎は本木昌造と平野冨二と出会ったと推測。

そして1863年(25歳時)に幕府の士籍になり、長崎奉行支配定役格、調役並格通弁頭取に進み通事としての最高位に就く。1868年(慶応4年)には長崎裁判所の通弁御用頭として「万国公法」を訳す。義十郎は語学の天才的才能を持っていた人物だったと思われます。
明治3年、義十郎は明治新政府より民部省への出省を命じられ上京。義十郎の名前も希昌(ユキマサ)と改め、明治政府の表舞台の一員となります。翌明治4年外務省に転任。明治6年には外務卿副島種臣全権大使の二等書記官として清国へ随行。また同年イタリー国皇甥が明治天皇と共に観兵式をご観覧の時、希昌は通訳を命じられ観兵式に陪席。 これ以来希昌は亡くなるまで明治天皇の国賓の通訳を務める事に。

その後、単に通訳としてではなく、外交官として活躍。その功績に対し国内外から多くの勲章が授与される。もう一つ希昌の外交官としての活躍を裏付ける伊藤博文、副島種臣、山田顕義から希昌に宛てられた手紙も紹介される。
明治19年賞勲局書記官に任ぜられ、勲章制度整備に寄与します。
明治26年(55歳)退官。その後米国駐在弁理公使に任ぜられますが、待命期間中明治29年3月に当時の最高の医学陣の手当空しく死亡(58歳)。
葬儀の大喪始末記には多くの明治の元勲・政府関係者の名前が並んでいます。最後に同始末書に名前を連ねる長崎出身者および築地活版所関係者の紹介がなされました。

研究報告後、懇親も兼ねた質疑応答。今回の報告会には、平井講師の関係で東京都日本中国友好協会の方々も参加され, 中国の異なる地域民族の話を聞かせて頂くなど有意義な時間でした。

■ レオ神父の説明

レオ神父説明 1


バラとユリのレリーフ

レオ神父説明 2

聖堂内部
レオ神父によるカトリック築地教会の説明
報告会終了後レオ神父お忙しい中時間を作って頂き、カトリック築地教会の歴史について説明して頂いた。
カトリック築地教会は明治7年に居留地の35・36番(現在地)を借り受け、明治11年に最初の聖堂を建立。
最初の聖堂は大正12年9月1日の関東大震災で聖堂が焼失・倒壊。現在の聖堂は昭和2年4月10日に献堂された建物で、古代ギリシャのドーリア式神殿を忠実に模して木造モルタル造にて建設されている。
東京都選定歴史的建造物及び中央区の文化財に選定されています。一昨年より一年余りかけた耐震補強工事は昨年12月に完了。
レオ神父には改めてカトリック築地教会についてのご講演をお願い出来ればと思います。
また新装聖堂、まだご覧になっておられない方、時間がありましたら是非ご覧になって下さい。

定期総会/研究報告会
・2021年1月29日(金) 定期総会(書面総会)

今年度は、当初1月23日に定期総会の開催を予定しておりましたが、コロナ緊急事態宣言期間と重なり中止と致しました。特殊な状況下にあり、その代概としまして書面総会とし、書面にて決議を取らさせて頂く事としました。
会員の皆様には、事前に総会議案をメールもしくは郵送にて送付し、議案審議して頂き、その結果・決議票を同様な方法にて返送して頂く形を取りました。

1月29日(金)に書面総会(議決集計)を開催。開催にあたり、公正を期するため最小出席必要者として水野雅生理事長、大島房太郎理事(事務局)、松井信勝監事、鏑木純子監事の4名が出席。まず最初に2020年度の監査を松正勝監事および鏑木純子監事が行う。
その後会員皆様から返送して頂きました議決を集計。
社員 (議決権)総数69 (法 人会員 7社、個人会員62名) に対し書面議決行使数 38。
集計結果、議決権の半数以上の38の賛成票・委任票をもって全議案が可決されましたことを
ご報告致します。

・2021年1月 研究報告会 延期
東京芸術大学楽理科・塚原康子教授に「明治期の築地周辺 響いた音楽 ―延遼館・海軍兵学校・新富座と軍楽隊」というテーマでご講演をお願いしておりましたが、残念ながら延期となりました。



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