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  研究報告会・イベントスケジュール
研究報告会  <次回 >
・日時: 2020年1月18日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階3302号室
      東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 「築地居留地時代のフルベッキ博士」

・報告者: 中島 耕二
       築地居留地研究会理事、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学)

2019年 築地居留地研究会・年間スケジュール

2020年の年間スケジュール表です。
(2019年11月23日更新)
▼ 以下は終了したイベントです

研究報告会 「特別講演」
Japanese        English 
・日時: 2019年11月23日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階3301号室
      東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 「ミスター築地:ジョン・ビンガムとは?」
       激動の明治時代、築地が見た日米の歴史

・報告者: サミュエル・キダ―(Samuel Kidder)
       元在日アメリカ大使館商務担当公使、元在日アメリカ商工会議所専務理事

研究報告会 14:00~16:00

水野雅生理事長

I山本泰人中央区長

講演者キダー氏

ミセス・キダ―による
通訳

旧アメリカ公使館全景

ベイネット社による取材

参加者記念写真
大島理事の英語による司会で開会。
水野理事長の元駐日米国大使ライシャワー氏が少年時代に築地居留地にあったアメリカン・スクールに通っていたことなどエピソードを交えて開会の挨拶。
続いて山本泰人中央区長から、中央区は日本橋、銀座、築地のように近代日本の金融、商業、工業、教育、文化の発祥の一大中心地であり、この史実をもっと区民、都民、国民に知って貰うことが必要で、そのために今後努力していきたいとの力強いご挨拶を戴いた。またこの度、日野原重明先生、矢田美英前区長に続いて、我々NPO法人築地居留地研究会の名誉顧問にご就任戴いた。

キダー氏の講演はパワーポイントを使い英語で行われたが、ミセス・キダーから同時通訳のような名訳が瞬時に行われたことから、ほとんど日本語の講演を聴いているような感じであった。
アメリカ公使館(現在の大使館)は、1874(明治7)年から1890(明治23)年に赤坂へ移るまで16年間、築地居留地1,2,3,21,22番(現在の聖路加ターワーの場所)にあった。
ジョン・ビンガム(John Armor Bingham, 1815-1900)はペンシルベニア州で生まれ、オハイオ州で育ち同州フランクリン大学を卒業し、オハイオ州下院議員となり、やがてリンカーン大統領のアドヴァイザーを務め、1868年に「合衆国市民権は出生または帰化によって取得される」とする米国憲法修正第14条を起草し、アメリカの公民権、奴隷解放、人権擁護の法的根拠を築いた。
大物政治家として、グラント大統領から日米の関係強化のため駐日公使(現在の大使)として派遣され、1873(明治6)年9月に着任し1885(明治18)年7月に本国に帰任するまで12年間在職(歴代最長)し、11年間を築地居留地で過ごした。
ビンガムは、在任中、列強と日本の不平等条約の見直しによって、明治政府の弱体化を防ぎ、欧州列強の進出を食い止める努力をした。また下関戦争による幕府・明治政府の英、仏、蘭、米に支払われた賠償金300万ドル(アラスカ買収費は720万ドル)のうちアメリカが受領した78万5,000ドルの全額(20年分の利息プラス)返還を本国政府に説いて、1883(明治16)年に上院を通過させた。またデビット・タムソンなどアメリカ人宣教師と交流し、日本のキリスト教布教を支援した。

キダー氏は丁寧かつ熱をもって語った最後に、ビンガムはアメリカでは忘れられた政治家となっているが、日本に於ける彼の働きを基に再評価につなげていきたいと結んだ。
本講演によってビンガム公使が築地居留地を舞台に、日本と欧米列強との不平等条約改正および下関戦争賠償金の全額返還(横浜築港に充当)に尽力してくれたことを学んだが、このことは長く記憶して置かなければならない。



ミニ・エクスカーション 16:10~16:40

トイスラー記念館

居留地跡小ツアー

聖路加タワー2階ホールで
そぼ降る雨の中であったが中島理事の案内で、トイスラー館(藪理事の説明)、旧アメリカ公使館跡地、米国建国100年記念モニュメント等のミニ・ツアーを行い、往時を偲び今日を新たに考えた。
旧アメリカ公使館跡地には是非記念碑の設置を実現したいと、中島理事から抱負と支援の訴えがあった。


レセプション・ディナー 17:00~20:00

ディナー風景

キダー氏スピーチ

ビンガム公使晩年の写真
京阪ホテル・オクターヴァでキダーご夫妻を囲んで歓迎ディナーを開催。
40人を超える参加者で大盛況であった。キダーご夫妻の前の席をフリーにして、5分間誰でも話が出来るという工夫をした結果、時間オーバー者が続出し、リピーターもいて講師と参加者の熱心な質疑が交わされた。
また恒例により初参加、新規入会の方からスピーチを戴いた。
最後にキダー氏から水野理事長にビンガム公使の晩年の額装写真の贈呈があり、ホテルとの契約時間を1時間近く超過し、温かい日米交流の有意義な夕べを持つことが出来た。
築地居留地研究会の益々の充実と発展を祈って、参加者は家路についた。

中央区まるごとミュージアム2019
Japanese        English 
■ 街歩きツアー 「かつて東京にあった外国人の街を歩いてみよう」
■ 「Let’s walk around “Tsukiji Foreign Settlement” in Meiji era」

・日時: 2019年11月4日(月・祝)
10:00~12:00 日本語でのご案内
13:00~15:00 英語でのご案内
・費用・定員: 無料 30名 (どなたでも参加歓迎)
・案内人: 村上伊作 NPO法人築地居留地研究会・理事
・集合場所: 聖路加国際大学正面玄関前 (明石町10-1)

テーマ:中央区まるごとミュージアム2019 「街歩きツアー」

今年は、午前10時から12時まで 「街歩きツアー かつて東京にあった外国人の街を歩いてみよう」
午後1時から3時まで 「Let’s walk around “Tsukiji Foreign Settlement” in Meiji era」 と題し、午前は日本語で、午後は英語で築地外国人居留地跡地の案内を行った。 午前と午後も当研究会の村上伊作理事が案内。

和気あいあい、ゆっくり探索。 参加者、かつてこの地に外国人居留地が存在していたことを初めて知った方がほとんど。また多くの有名学校もこの地で発祥したり、また一時期開設されていた事を知り興味深く説明を聞いておられました。

午後1時からは初めての試みとして、特に中央区に住んでおられる外国の人向けに、英語での案内を試みる。
午後は15名の参加でしたが、2名がアメリカ人で、他は全員日本人でした。大半が日本人なれど案内は英語で行う。
アメリカ人二人の内のお一人が11月23日に特別講演をして頂く事になっているサミュエル・キダー氏が特別に参加されました。 アメリカ公使館跡地では補足説明をしてくれました。
英語コースに参加して頂いた13名の日本の方々ですが、多くの皆さんが外国人のお友達を持っておられ、お友達が中央区にやってきた時は、彼らを英語で案内したいと言っておられました。
彼らが外国のお友達に、かつてこの中央区にあった築地外国人居留地の歴史とレガシーを伝えて頂けば、私たち研究会の喜びとするところです。

午前:日本語での案内 10:00~12:00

トイスラー記念館内

立教学院発祥の地

立教女学院校舎跡地

女子聖学院発祥の地

聖路加タワーテラスにて

午後:英語での案内 13:00~15:00

米国公使館跡地
キダー氏による補足説明

明治学院記念碑

青山学院記念碑

あかつき公園
  シーボルト像

隅田川沿いで記念写真

研究報告会

・日時: 2019年9月28日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階3302号室
     東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 「活字が築地に来るまで -印刷とキリスト教伝道-」
・講 師: 宮坂 弥代生 (みやさか やよい)
       明治学院大学非常勤講師、中央大学政策文化総合客員研究員

研究報告会 14:00 ~15:45

宮坂弥代生先生」

報告中の宮坂先生

講演レジュメ

会場風景

参加者記念写真
大島房太郎理事の司会により開会。水野雅生理事長の日頃の研究会への協力に対する感謝、続いて中島耕二理事から本日の講師、宮坂弥代生先生の紹介、そして報告会へと入った。

宮坂弥代生先生は都立築地産院で産湯を浸かり、実家は築地で印刷会社を経営していたという正真正銘の築地っ子。しかも日本ではほとんどいないという印刷史の研究者(中国語の先生でもある)で、築地居留地研究会の研究報告者としてピッタリの講師をお迎えした。

報告は東洋と西洋の印刷技術の発展比較、グーテンベルクの金属活字の発明と聖書印刷、19世紀にグーテンベルク技術の中国、日本への伝播。上海のミッションプレス美華書館の貢献(中国人への技術移転、ブラウン『日本語会話』の印刷、ヘボン『和英語林集成』の印刷と岸田吟香、ガンブル所長の長崎来航と宣教師フルベッキの斡旋、本木昌造への技術指導)、平野冨二の東京神田そして築地への進出、築地活版製造所社長。美華書館は中国人・日本人による印刷所の台頭をもって1931(昭和6)年の閉鎖までを、印刷と紙質やインキの関係なども含め、時系列に印刷技術用語など難しい内容をわかり易く、丁寧にかつはきはきとした築地弁で説明を戴き、大いに知見を広げさせて戴いた。

水野理事長を始め印刷関係の参加者の方からは、興味深い話に吸い込まれたと大満足の感想が聞かれた。
報告会終了後、聖路加国際病院チャペル前で記念撮影を行い、旧居留地のミニエクスカーションを実施、その後ミズノ・プリンティングミュージアムの見学に移動した。


ミニエクスカーション 16:10~16:40

水野理事長の案内

明石小学校前

伊藤素子理事の案内
(立教女学校記念碑前)

ミズノ・プリンティングミュージアム見学

ミュージアム見学

ミュージアム見学

水野理事長、宮坂先生、中島理事

宮坂先生を囲んで
講師を囲んでの茶話会 17:30~18:30

ミズノプリテック様の食堂をお借りし、茶話会を実施。
報告会の余韻を残して、宮坂先生に聞き漏らしたことを自由に質問し、初参加の方の自己紹介など楽しいひと時を過ごした。
次回報告会で再会を期して解散とした。

研究報告会

・日時: 2019年7月13日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階3302号室
      東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 「村岡花子と『赤毛のアン』」
・講 師: 村岡 恵理(むらおか えり)
        作家、村岡花子・孫
・著 書: 「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」 (新潮社)  
      「村岡花子と赤毛のアンの世界」 (河出書房新社)
      「ラストダンスは私に 岩谷時子物語」 (光文社) 7月15日刊行予定

研究報告会

講演テーマ
 村岡花子と「赤毛のアン」

村岡恵理講師

講演会風景

参加者記念写真
今回は、「村岡花子と『赤毛のアン』」というテーマで、2014年の前半、NHK朝の連続ドラマ「花子とアン」の原作者村岡恵理さんを迎えての講演であった。
村岡(旧姓、安中)花子は、大正8(1919)年に築地にあった日本基督教興文協会という出版社に勤めており、その半年後に村岡儆三と結婚、新しい人生の道を歩み始める。儆三は、当時横浜にあった福音印刷の御曹司であり、興文協会の印刷を一手に引き受ける福音印刷銀座支店の支店長でもあった。その印刷所は、銀座四丁目教文館の真裏にあった。
講演は、そこに至るまでの花子が甲府で生まれてから、東京に移り、父の勧めで東洋英和女学校に入ったいきさつ、そこで受けた厳しい英語教育、カナダ人女性宣教師の教育への情熱、そこで見聞きしたカナダ人のライフスタイルの細かい点にまで及んだ。特に、図書室の英語の本をすべて読んでしまうほどの花子の英文学への傾倒は他の追随を許さぬものがあったようだ。それに加えて、寮で出会った柳原白蓮や、佐々木信綱による和歌の指導は、英文学では学ぶことのできない日本語表現力への感性を培った。しかし、学校での影響にとどまらず、その後出会った片山広子や広岡浅子などとの交流は、花子の視野を広げ、のちに残るまでの人脈と影響関係を作る素地となった。処女作『爐邉』(1917年)の出版がきっかけで勤めるようになった興文協会は関東大震災で焼失、その後教文館と合併し、現在に至る。
花子も教文館で編集者として活躍するが、昭和の初めには「ラジオのおばさん」として親しまれ、子供の新聞の番組を受けもち、「全国のお小さい方々、ごきげんよう!」という挨拶で全国に知られるようになった。一方、戦争への道を突き進む日本から、花子が親しんだカナダ人宣教師は次第に去っていったが、その中のひとり、L. L. ショウさんから手渡されたのが、『赤毛のアン』の原書Ann of Green Gablesであった。花子は戦時下でも黙々と翻訳をつづけ、戦火のなかも訳稿を守り、戦後になってようやく出版にこぎ着けたいきさつや、日本語の題名が決まった話など、1時間半に及ぶ講演は、興味尽きない充実したもので、花子をはじめ、当時の女性たちが学んだ教育の力を改めて感嘆させるものであった。 (渡部満)



エクスカーション

興文協会跡地で
渡部満教文館社長による説明

エクスカーション
エクスカーションは、花子と儆三が暗号のように呼び合っていた「8番」、つまり当時の築地明石町8番地にあった日本基督教興文協会の跡地を訪ねた。
当時の地図を頼りに、隅田川沿いに歩いていくと、かつては瀟洒な洋館が並んでいたあたりは、新しい小道ができ、マンションの立ち並ぶ一角であった。ここら辺はすべて関東大震災で焼け落ち、その後の帝都復興事業では、隅田川からの物資や資材の陸揚げ基地となったあたりだ。跡地の確認ののちは、いくつかの築地ゆかりの碑を巡り歩き、築地からさまざまな近代文化が日本に広がっていった足跡をたどる時間となった。 (渡部満)


講師を囲んでの茶話会

茶話会風景

茶話会風景
今回は、講演の参加者が定例報告会としては最高の118名を数え、エクスカーションも茶話会も多数の参加者でにぎわった。
特に今回は、花子と儆三が一緒に通ったカフェ・パウリスタのオーナー長谷川さんからコーヒーの提供もあり、一味違った会となった。
幾人もの初めての参加者もあり、活発な質問や、意見の開陳もあった。齢86歳を数えるご婦人は、東洋英和を卒業した祖母から言い聞かされてきた教えが、恵理さんの語る東洋英和の教育に原点があることが確認できたと話し、また別の方は広岡浅子を通しての村岡花子と市川房枝とのつながりを発見したなど、新しい知見も述べられ、なごやかで、活発な意見交換となった。また、村岡恵理さんの新著『ラストダンスは私に 岩谷時子物語』(光文社)の紹介もあり、恵理さんの今後の活躍を祝す会でもあった。岩谷時子物語もNHKの朝ドラになるといいですね。 (渡部満)

研究報告会 「築地あじさい祭り」

・日時: 2019年5月18日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階3301号室
      東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 「シーボルトと日本 -二人の息子とおイネの活動にも触れながら-」
・報告者: 沓澤 宣賢 (くつざわ のぶかた)
        前東海大学教授、洋学史学会会長、日本シーボルト協会代表幹事

研究報告会

沓澤宣賢講師

講演会会場風景

講演会会場風景

講演レジメ

シーボルトに関する貴重な古書
及び参考書

参加者記念写真
令和最初の定例報告会。今回のテーマは「シーボルトと日本 ~二人の息子とおイネの活動にもふれながら~」。
シーボルト研究の第一人者沓澤宣賢先生による講演。

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは医師の家系に生まれ(1796年)、ビュルツブルグ大学医学部を卒業。
1823年8月(27歳時)にオランダ商館付き医師として一回目の来日をする。シーボルト来日の目的は、彼自身が持っていた日本研究の意図とオランダ東インド政庁の依頼に基づく日本の博物学調査であった。一回目の日本滞在時には鳴滝塾を開設するなどし日本の医師に西洋医学の伝授をするかたわら日本研究に多くの時間を費やす。シーボルトは自身が入手した資料以外に、日本人の学者、門人などの協力を得て膨大な資料を収集。しかしシーボルト事件により国外追放(1830年)となる。

オランダに戻ったシーボルトは、日本駐在中に取集した膨大な資料を基に日本研究の成果をまとめ、研究書「日本」を出版し、日本研究家としての名声を得る。その知識と情報がのちに日本開国の為活用されることになっていく。
1858年日蘭修好通商条約が結ばれ、シーボルトに対する追放令が解除。1859年シーボルト(63歳)は長男アレクサンダー(13歳)を帯同し再来日。再来日の目的は日本の国際社会参入への手助けと「日本」と「日本植物誌」の未完部分の完成であった。1860~61年にかけ父シーボルトは幕府の外交顧問としてアドバイスするなど幕末外交でも活躍をした。
父シーボルトの説明後、日本で活躍した二人の息子(長男アレクサンダーと次男ハインリッヒ)と娘おイネ、それぞれの人物像と活動についての説明に入る。

長男アレクサンダーは父シーボルトの再来日(1859年)の際に同行来日(当時13歳)。彼はその後日本政府(民部省、大蔵省、外務省)のお雇い外国人として40年勤務し、その間日本の近代化に大きく貢献(ウイーン万博、条約改正の際の活動、日清戦争、義和団事件の際の新聞操作等)。その功績が讃えられ1910(明治43)年日本政府より勲二等瑞宝章を授与されている。

次男ハインリッヒはアレクサンダーの勧誘に従い1869(明治2)年に来日(当時17歳)。ハインリッヒは長年駐日オーストリア・ハンガリー帝国公使館に勤務し、その間ウイーン万博に兄と共に参加、また1882年には条約改正予議会に参列しその功績により勲三等旭日小緩章が授与されている。ハインリッヒは単に政治的活動のみに留まらす、欧州の考古学を日本に紹介。長年にわたって蒐集した日本民俗学資料をウイーンの博物館に寄贈し、日本文化を紹介するなど考古学、民俗学、日本文化研究分野でも活躍している。

最後に、シーボルトが一回目の滞在の際に、日本人妻お滝との間にもうけた娘おイネの紹介。 イネは父の弟子石井宗謙や二宮敬作、そしてオランダ人医師ポンペ等の指導を受け、蘭方女医として、幕末から明治期にかけて活躍。父と娘は医学を通じて、遠く離れていたがお互いに強いきずなで結ばれていた。そして明治3年~10年に築地に産科医を開いていた事も紹介された。
フィリップ・フォン・シーボルトをはじめ二人の息子、娘おイネの実像とそれぞれの活動や功績が次々系統だって紹介されるわかりやすい講演でした。


エクスカーション

あかつき公園シーボルト胸像

シーボルト胸像の前で記念写真
エクスカーションは、あかつき公園にあるシーボルトの胸像を訪れる。
ここで国内外各所に存在するシーボルトの銅像、胸像、記念碑の紹介が沓澤先生よりなされた。あかつき公園にある胸像はライデンのシーボルトハウスにある胸像と同じものである事。その他ライデン大学シーボルト植物園にある胸像、一番有名なのがビュルツブルグにある胸像、意外なところとしてはウイン・シェーンブルン宮殿にシーボルトの石碑があるとの事。
日本では、長崎シーボルト記念館前にある銅像、鳴滝塾跡地の胸像、長崎大学坂本キャンパスにはシーボルト記念碑があるとの説明がありました。


講師を囲んでの茶話会

ハインリッヒ・シーボルトの子孫
関口忠志氏と奥様

茶話会風景

茶話会風景
エクスカーション後講演会場に戻り、沓澤先生を囲んでの茶話会を催す。茶話会出席者37名。
今回は会員、一般参加者に加え、ハインリッヒ・フォン・シーボルトの子孫関口忠志氏をはじめ日本シーボルト協会からの参加者もあり、いつも以上に充実した質疑応答のやり取りがなされた。当初予定した1時間では時間不足になるほどでした。

二次会

二次会

二次会
茶話会後、二次会へ。 東銀座の「築地きたろう」でお寿司を頂くことに。沓澤先生の良きお話を伺った流れで、一杯、二杯とお酒もお話もさらに弾む。
途中、「第九」をドイツ語で歌う事から始まり、ロシア語の歌、中国語、韓国語、英語の歌と次々歌うことに。たっぷり2時間大いに盛り上がる二次会となった。

研究報告会

・日時: 2019年3月23日(土) 14:00~16:00
・場所: 聖路加臨床学術センター 3階3302号室
      東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 『築地居留地と近代音楽-讃美歌と青年たちの出会い-』
            with 聖路加国際大学聖歌隊による合唱
・報告者: 中島 耕二 (なかじま こうじ)
        築地居留地研究会理事・東北大学博士(文学)
        明治学院大学元客員教授・フェリス女学院資料室研究員、長崎外国語大学客員研究員

研究報告会: 14:00~15:30

報告者中島耕二理事

報告者中島耕二理事

講演レジュメ

会場風景

聖路加国際大学聖歌隊演奏

北村季晴作曲長野県歌『信濃の国』独唱

参加者記念写真

理事長・講師と聖歌隊のみなさん
大島房太郎理事の司会、水野雅生理事長の研究会への協力に対する感謝の挨拶、続いて報告会へと入った。
近代西洋音楽の日本への流入は1853年のペリー艦隊の来航に端を発していること、その時、軍楽隊の演奏するアメリカ国歌やフォスターの曲とともに、主日に艦上で礼拝が行われ、士官・水夫300名が讃美歌の曲に合わせ合唱したこと、日本人が最初に耳にした西洋音楽の原点の一つに讃美歌があったことが紹介された。
その後各地に出来た外国人居留地を中心に日本人と西洋音楽の触れ合いが生じ、取り分け築地居留地では宣教師住宅、教会、ミッションスクールが立ち並び、日本人青年たちが讃美歌を通して西洋音楽を吸収していく姿がみられた。特に1880(明治13)年に居留地7番に出来た築地大学校(明治学院の前身)に学ぶ生徒の中から音楽に秀でた青年が多数輩出した。
彼らは居留地内の新栄教会で讃美歌に触れ音楽家を目指すようになった。納所辨次郎(兎と亀)、小山作之助(夏は来ぬ)、内田粂太郎(秋景)、北村季晴(信濃の国)、大塚淳(慶応義塾新応援歌)らは皆現在の東京芸術大学音楽学部に進学し、大作曲家となった。大塚淳と従弟の山田耕筰も居留地6番B棟の宣教師館で少年期を過ごし、新栄教会にも通い讃美歌の旋律や、居留地の家庭や外国公館から漏れてくるピアノの音によってその才能を磨いていった。
ここ築地居留地が日本の西洋音楽の多くの担い手たちを育んだ土地であったことが、豊富な史料によって紹介された。
講演の合間に讃美歌や作曲者ゆかりの曲が聖路加国際大学聖歌隊の皆さんにより演奏され、最後に山田耕筰の代表作の「赤とんぼ」を参加者全員で歌って報告会が閉じられた。いつになくほのぼのとした楽しい報告会となった。
83名の参加があった。



エクスカーション: 16:00~16:45
後の大作曲家たちが学んだ築地大学校跡地7番や山田耕筰ゆかりの6番B棟の跡地を中島講師の案内で訪ね、青年たちが行き交う往時に思いを馳せた。


講師を囲んでの茶話会: 16:50~17:50

茶話会風景

茶話会風景

いのちのことば社 「クリスチャン新聞」
講演中に突然のお願いにもかかわらず、快く北村季晴作曲の長野県歌『信濃の国』を歌って戴いた栗山正雄さんに県歌の話を伺い、また初めて報告会・茶話会に参加された方から自己紹介および築地居留地研究会の例会へ参加した動機などを話して戴いた。単に面白いテーマであったから参加したという人、あるいは国会図書館の元職員で歴史に造詣の深い方など、この研究会が広い範囲から参加者を得ていることが分かり、頼もしく感じた。楽しい時間はすぐに過ぎて、次回5月の報告会での再会を約して散会となった。

☆ いのちのことば社「クリスチャン新聞」の中田朗記者が報告会の取材に来られ、4月7日付紙面に大きな記事を掲載戴いた。(右上にPDFを掲載)

総会・研究報告会

・日時:2019年1月19日(土) 13:00~16:00
・場所:聖路加臨床学術センター 3階3302号室
     東京都中央区築地3-6-2

・テーマ: 築地居留地と「カフェーパウリスタ」
・報告者:長谷川 泰三 (はせがわ たいぞう)
       慶應義塾大学経済学部卒  カフェーパウリスタ五代目社長・現相談役
       著書「カフェーパウリスタ物語」(文園社)  ノンフィクション部門最優秀作品

築地居留地研究会通常総会: 13:10~13:50

通常総会・議案

通常総会

松井監事による会計監査報告
大島房太郎理事の司会により開会が宣せられ、総会出席者定数を満たし総会成立の旨が報告された。
議長に理事長の水野雅生氏を選任、以降第1号議案から第5号議案まで審議が行われ、全議案とも賛成多数で承認となりつつがなく総会を閉じた。


研究報告会: 14:00~16:00

講演レジュメ

講師・長谷川泰三氏

報告会風景

講師と集合写真
定例研究報告会に先立ち、当研究会の水野雅生理事長から新年の挨拶があり、本日の講師:長谷川泰三氏の紹介が行われた。
長谷川泰三氏は昭和11年(1936年)、東京・八丁堀の生れで、慶応大学経済学部卒。 日東珈琲株式会社入社後、1995年取締役社長に就任、2006年退社後同社前身だった明治創業の喫茶店「カフェ-パウリスタ」について全国から多数の問合せを受け、店の歴史を徹底的に研究。
日本の文化と、日本人の食生活に計り知れぬ影響を与えていたことを現在も確認中とのこと。
著書『カフェ-パウリスタ物語』2008年発刊、ノンフィクション部門最優秀作品。
講演内容は、白河貞二の流行歌「モダン東京ロマンス」の歌詞内容の解説から始まり、「カフェ―パウリスタ」のブラジルの語源は「サンパウロ子のコーヒー」だそうな。
創業者であるブラジル移民事業の立役者「水野 龍」についての解説、そして我が水野理事長が発刊された福沢諭吉の「学問のすすめ」(解説付き)の現物をご披露された。
店員の教育・指導上、顧客に対する「出迎え3歩、見送り7歩」・親密さを深める手法として、「相手の名前を必ず記憶する」大切さを強調。有名人の多彩なポイントを引用した話は続く。
長谷川氏の著書「カフェ―パウリスタ物語」を天皇・皇后両陛下が読まれた事が判明。普通なら「凄い。ヤッター!!」と単純に喜ぶべきだが、「何と両陛下の読書分野が思った以上に広く、改めて感服した。」と謙虚なご意見を述べられている。
カフェ―パウリスタの功績、
①日本人にコーヒー飲用の習慣を与え、世界第3位(米国・ドイツ・日本)の大消費国とした。
②日本の文明、文化を誕生させた。
③沢山の人材を育て日本の食品業界に送り出した。
④日本の喫茶店の原型を作った。
長谷川講師、独特のゆったりした快い話を聞き、アツという間に終了となった。


トイスラー記念館案内: 16:10~16:30

トイスラー記念館

トイスラー記念館内部

トイスラー記念館内部
集合記念写真撮影後、薮純夫理事がトイスラー記念館を案内。
トイスラー記念館は昭和8年明石町19番地に聖路加国際病院の宣教師館として建設された鉄筋コンクリート2階建て一部木造の西洋風住宅。平成元年に解体工事が行われ、平成10年に現在地に移築復元された。
聖路加病院の簡単な歴史についての説明がなされた。


講師を囲んでの茶話会: 16:40~17:40

茶話会風景

茶話会風景

二次会・玉寿司にて
参加人数 41名 今回、特別にカフェ―パウリスタさんのコーヒーとバウンドケーキを用意され、参加者全員ご馳走になりながら茶話会が始まった。
長谷川講師は幼少の頃、明石町にお住まいで、特に旧・入船町8丁目1番地在住の芥川龍之介に纏わる話は迫力が感じられた。
他にも多岐にわたっての質疑・応答があったが、特に長谷川講師の兄長谷川浩一氏(当・研究会理事、カフェ―パウリスタ会長)のお話。
弟の長谷川講師はカフェ―パウリスタが我が国に果たした功績を、具体的な事例を挙げ、歴史的観点からこの世に残す使命を維持し、現在も逞しく調査を続ける姿勢に感謝の念を持っているとのご発言。この様なご兄弟の強い結束が、歴史ある企業維持の原点と感じた。

第11回 外国人居留地研究会全国大会 in 築地
第11回 外国人居留地研究会全国大会 in 築地第11回 外国人居留地研究会全国大会 in 築地
・テーマ: 「居留地と女子教育」
・日 程:2018年11月3日(土) 13:00~17:00
   3日(土): 全国大会 (於:聖路加国際大学)
          基調講演: 小檜山ルイ氏(東京女子大学教授)
   4日(日): エクスカーション 旧築地居留地跡

第11回 外国人居留地研究会全国大会
  2018年11月3日(土)13:00~
■ テーマ:「居留地と女子教育」
・会場: 聖路加国際大学アリス記念ホール 
・総合司会: 村上伊作 (当会・理事)
・主催者挨拶: 水野雅生 (当会・理事長)
・来賓ご挨拶: 矢田美英氏 (中央区長)
・来賓ご挨拶: 福井次矢氏 (聖路加国際大学長・聖路加国際病院長)
・基調講演: 小檜山ルイ氏 (東京女子大学教授)
・シンポジュウム:コーディネーター 中島耕二 (当会理事)

■ 懇親会 於:クレストンホテル32階 プラシャンティ 
・ご挨拶: 神木哲男氏 (全国外国人居留地研究会会長)
・ご挨拶: 渡辺明良氏 (聖路加国際大学法人事務局長)
・ご挨拶: 陣内秀信氏 (中央区立郷土天文館館長)
・ご挨拶: ジョアンナ・シェルトン氏 (築地居留地在住宣教師子孫、元OECD事務次長)

■ 二次会 於:銀座カフェー パウリスタ (銀座8丁目)
・小講演: 「カフェーパウリスタ」 長谷川泰三 (カフェーパウリスタ5代目社長、現相談役)

2018年11月4日(日)10:00~
■ エクスカーション 旧築地居留地跡 案内 中島耕二、村上伊作


全国大会の様子を写真で紹介 (写真クリックでウインドが開きます)
 11月3日(土)
  大会会場
 11月3日(土) 4日(日)
  懇親会/二次会/エクスカ―ション
研究報告会 「特別講演会」 

・日時:2018年9月22日(土) 14:00~16:00
・場所:聖路加臨床学術センター 3階3302号室
     東京都中央区築地3-6

・テーマ:築地居留地跡地に建つ塩瀬総本家 「塩瀬660年の歩み」
・報告者:川島英子 (かわしま えいこ) 塩瀬第34代当主・取締役会長

・エクスカーション:居留地跡散策 16:10~16:40

特別講演: 14:00~16:00


講師の川島英子氏

発表レジュメ

報告会風景

講師の著書

集合写真 聖路加国際病院礼拝堂前
今回の報告会は、旧築地居留地17番2(現在の明石町7-14)に建つ、塩瀬総本家の34代当主で現在、取締役会長を務める川島英子氏にお願いし特別講演会として開催された。
川島会長は老舗和菓子屋の経営者に留まらず、豊富な知識に裏打ちされた著書も出版され、一級の文化人として良く知られている。
本日の講演では、660年を遡る僧林浄因による塩瀬創業の話、ある日の墓参りからルーツを知ることになった話、塩瀬の家訓を守りながら御夫婦で苦労を重ねて事業の発展を遂げた話、その一つ一つが感動を伴う話であった。
また川島会長が大正13(1924)年の生まれと聞き、誰もがその元気と変わらぬ聡明さに驚かされた。
講演後、著書『まんじゅう屋繁盛記・塩瀬の六五〇年』(岩波書店、2006年)の頒布会とサイン会が行われが、購入者ひとりひとりに丁寧にサインをされている川島会長の姿にまた感動させられた。



エクスカ―ション: 旧居留地跡と塩瀬総本店の店内見学

村上理事による案内

塩瀬総本店入口

塩瀬総本店内部

塩瀬のお饅頭


講師を囲んでの茶話会

茶話会風景

茶話会風景

水野理事長の点茶

水野理事長の点茶
講師の川島会長を囲み茶話会を開いたが、会長の日々感謝してその日を過ごすことが大切という人生哲学を伺い元気を戴き、当研究会水野理事長による点茶により、抹茶と塩瀬まんじゅうが出席者に配られ、文字通り楽しく美味しい茶話会となった。

研究報告会
・日時:2018年7月28日(土)14:00~16:00
・場所:聖路加国際大学4階 402号室

・テーマ:「築地と横浜」
・報告者:斎藤多喜夫(さいとうたきお)
       横浜外国人居留地研究会・会長
       横浜開港資料館・横浜都市発展記念館元調査研究員


研究報告会: 14:00~16:00


講師の斎藤多喜夫氏

テキスト

報告会風景

講師の著書(1)

講師の著書(2)

集合写真 聖路加国際病院礼拝堂前
報告会の開始に当たって水野雅生理事長から挨拶そして大島房太郎理事の司会によって斎藤多喜夫講師の紹介が行われた。
斎藤氏は長く横浜開港資料館の調査研究員として勤務され、その間研究成果を論文として多数発表され、また横浜の近代史に関する著書も多く、居留地研究に関しても第一人者として著名である。
講演では開国に伴い設置された居留地の開港場と開市場の違いから説かれ、居留地と雑居地、居留地の範囲、居留地と日本人の関係、領事制度と治外法権等居留地に関する法的根拠を分かり易く、めずらしい資料など実例を示して話され、従来我々が漠然と理解していた居留地をより明確な理解へと導いて戴いた。
後半は築地居留地と横浜居留地間の蒸気船、乗合馬車の運営と経営、製靴業起業のかかわり、ミッション・スクール等を取り上げて説明され、これらが横浜から築地に伝承されて行ったことを示された。築地居留地研究に取って横浜居留地を知ることの重要性を改めて認識させられる講演であった。

当日は台風の迫る中にも拘わらず、50人近い参加者を得て、参加者の皆さんの熱意がほとばしる充実した研究会となった。



エクスカ―ション: 台風のため中止

講師を囲んでの茶話会: 台風のため中止

*台風接近のため、残念ながらエクスカ―ションおよび茶話会を中止としたが、安全第一のためご了承ください。

研究報告会 「築地あじさい祭」 
・日時:2018年5月19日(土)14:00~16:00
・場所:聖路加臨床学術センター 3階 3301号室
     東京都中央区築地3-6

・テーマ:「PHILLIP FRANZ VON SIEBOLD AND HIS FAMILY」
・報告者:Constantin von Brandenstein-Zeppelin博士
             フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト子孫
             ブランデンシュタイン家当主・城主

・テーマ:「外交官アレクサンダー・フォン・シーボルトの見た明治日本」
・報告者:堅田智子(かたださとこ) 博士(史学)
             上智大学文学部特別研究員・非常勤講師、

・ハインリッヒ・フォン・シーボルトの子孫関口忠志氏とイネの女系子孫の方々も特別参加

特別講演: 14:05~14:45


講師 フォン・ブランデンシュタイン博士
(飛行船のツッペリンの子孫でもある)

プレゼンテーション資料

講演終了後フォン・ブランデンシュタイン博士が
日本におけるシーボルト子孫たちを紹介
今回はドイツにおけるシーボルトの子孫(次女マティルデの子孫)コンスタンティン・フォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン博士、翌日の5月20日(日)に香取市で 開催される「伊能忠敬翁没後200年記念式典」にご参加のため来日され、当研究会・水野理事長の依頼で、今回、特別講演が実現した。
フォン・ブランデンシュタイン博士には「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトとその家族」と題した講演をして頂いた。
1796年現・ドイツ・ヴュルツブルクでヨーロッパでも有数の医学の名門に生を受けたシーボルトがどのような理由と経緯で日本・長崎へやって来たのか、また彼のヨーロッパにおける功績、日本人妻との娘イネ、さらにあまり知られていないシーボルトの息子たち、長男アレクサンダー、次男ハインリッヒの日本における活躍についてお話をして頂いた。
 フォン・ブランデンシュタイン博士は講演の最後に、「シーボルトの子孫、私の日本における遠い親戚」として、ハインリッヒの子孫関口忠志さんと奥様、イネの女系子孫のご家族の方々を教壇に呼び、聴講の皆さんに紹介。 シーボルトの子孫たちが、この日この築地・明石町で集う事になった。


研究報告会: 14:45~15:55

講師 堅田智子博士

テキスト

報告会風景
『外交官アレクサンダー・フォン・シーボルトの見た明治日本』と題し、シーボルトの二度目の来日に同行し、約40年にもわたり明治外交官であった長男・アレクサンダー・フォン・シーボルトについて、アレクサンダー研究第一人者、堅田智子(かたださとこ)博士(上智大学非常勤講師)に講演をして頂いた。
ドイツ・日本を中心に発行されたデーター、そして詳しい年表に従った解説は、きめ細く非常に分かり易かった。
次男ハインリッヒ(オーストリー在日代理公使)の協力もあり、日墺修功通商条約締結、初のウイーン万国博参加、岩倉使節団、不平等条約改正、佐野常民との協力により博愛社(後の日本赤十字社)設立、華族そして勲章制度の導入、日本の欧州共同体への加入、そして明治憲法制定等、広報能力の乏しかった明治日本の基礎固めに尽力した。 その功績は極めて大きいものであった事を知る。



集合記念写真とシーボルト胸像

集合記念写真

前列左3名がイネの女系子孫の方々、
真ん中が次女マティルデの子孫フォン・
ブランデンシュタイン博士、右2名が次
男ハインリッヒの子孫関口忠志氏と奥様

あかつき公園にあるシーボルトの胸像
時空を超えた子孫達の集いにシーボルトも
嬉しげに見える

講師を囲んでの茶話会: 16:45~17:50

あかつき公園に咲くあじさい

茶話会で質問に答える堅田講師

大勢の参加者
フォン・ブランデンシュタイン博士は香取市・市長との先約、またイネの女系子孫の方々は所用で残念ながら茶話会に参加できなかったものの、ハインリッヒの子孫関口忠志氏をはじめ48名もの大勢の方が参加される堅田智子講師を囲んでの茶話会となった。 
出席者の中にはシーボルト研究者も多くおられ、突っ込んだ質疑応答もあり、内容の濃い茶話会となった。

研究報告会
・日時:2018年3月24日(土)14:00~16:00
・場所:聖路加国際大学 4階 402号室
     中央区明石町10番1号

・テーマ:「築地と初期プロテスタント受洗者たち ―粟津高明と二川一謄を中心に―」
・報告者:中島一仁 横浜プロテスタント史研究会会員


研究報告会: 14:00~15:35


中島一仁講師

テキスト

報告会風景

講師を囲んでの記念写真
(402号室から)
報告会の開始に当たって水野雅生理事長から挨拶そして大島房太郎理事の司会によって中島一仁講師の紹介が行われた。
中島講師は勤務先が築地の近くにあり、従来から気になっていた場所と話されてから、本題へと入られた。

築地居留地は商取引の互市場としてより、1873(明治6)年2月の切支丹禁制の高札撤去以降、キリスト教各派による布教の拠点となったことに触れ、中でも同年9月20日に東京で最初に設立されたプロテスタント教会の東京基督公会(現、新栄教会)に注目し、その初期信徒である粟津高明と二川一騰を例に、彼らの入信に至る経緯および彼らのキリスト教理解がナショナリズム(=民族主義)を背景にしていたものであったことを分かり易く論証された。
同講師は最後に、最初期の日本人プロテスタント入信者たちが目指したものは何であったのか、洋魂の中に「和魂」が存在していたのではないか?と投げかけて報告を閉じられた。
中島講師は周到に先行研究を調べ、また自身で新史料に当たり、粟津高明および二川一騰の従来知られていなかった出自なども明らかにされた。次回の報告会が待ち遠しいと感じる「報告会」となった。



エクスカ―ション: 16:00~16:30

青山学院記念碑の前で
(中島耕二理事の説明)

中島一仁講師とともに


講師を囲んでの茶話会: 16:40~17:50

茶話会風景

松田敏雄会員の報告

隅田川ライトアップ資料

第二会場での有志懇親会
エクスカーション後、講演会場の402教室に戻り、中島一仁講師を囲んで茶話会が開かれ、質疑応答が行われた。
また松田敏雄会員から「橋のミュージアム・隅田川のライトアップ川道について」があり、松田氏たちの地道な文化運動の成果として、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、隅田川に架かる橋のライトアップが画期的に改善されるとの特別報告が行われた。

研究報告会
・日時:2018年1月13日(土)14:00~16:00
・場所:聖路加臨床学術センター 3階 3302号室
     中央区築地3-6

・テーマ:「築地居留地跡に建つ聖路加国際病院の歴史と創設者トイスラー博士の偉業」
・報告者:藪 純夫 聖路加国際大学学術情報センター大学史編纂・資料室、
             NPO法人築地居留地研究会理事


研究報告会: 14:00~15:45


聖路加国際大学理事長
糸魚川順先生

藪 純夫講師

報告会風景

報告会資料

講師を囲んでの記念写真
定例研究報告会に先立ち、当研究会の水野雅生理事長から新年の挨拶があり、続いて会場をお借りしている学校法人聖路加国際大学の理事長糸魚川順先生から聖路加国際大学の最近の状況等も含めご挨拶を戴き、先生にはそのまま定例報告会にもご参加戴いた。

今回の報告会は、聖路加国際大学学術情報センター勤務、当研究会理事の藪純夫氏に講演戴いたが、同氏は大学史編纂・資料室でアーカイブズ事業に携わっておられ、聖路加国際病院の創設者トイスラー博士について語って戴くには最適の講師となった。
講演は多数のパワーポイント映像とともに、築地居留地の始まりからポカホンタスを先祖に持つトイスラー博士の生い立ち、築地居留地廃止後の1900(明治33)年に来日、佃島に開いた施療診療所、旧居留地明石町37番地に開業した築地聖路加病院、博士の看護教育への情熱そしてその後の病院の発展の歴史を藪講師の柔らかな口調とともに、時にユーモアを交え分かり易く丁寧にご説明を戴いた。
最後に、トイスラー博士生前の貴重フィルムとして、1930年の大震災後の聖路加国際病院建設定礎式(高松宮ご夫妻参列)の模様および翌1931年の大リーガー来日時のトイスラー博士との交流風景の特別映写があった。
今日の聖路加国際病院およびその創立者トイスラー博士について、今まで知らなかった数多くのことを学ばせて戴き、参加者は皆、知的充足感を覚え大満足であった。



エクスカ―ション: 16:10~16:40

いざトイスラー記念館へ

トイスラー記念館内部

聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂
藪講師の案内で、普段一般公開していない大学の中庭にあるトイスラー記念館、1933年建設の旧病棟および1936年建設の聖ルカ礼拝堂を見学した。礼拝堂は病院の中心として、各階の病棟から患者さんが礼拝に出席出来るように設計されていた。荘厳かつ静謐な佇まいの礼拝堂内部は、自然に信仰心を抱かせる空間になっている。


講師を囲んでの茶話会: 16:20~17:40

茶話会における藪講師

茶話会風景

第二会場での懇親会
エクスカーション後、講演会場の3302教室に戻り、藪講師を囲んで茶話会が開かれた。
茶話会には、聖路加国際病院元看護部長・副院長の要職を務められた内田卿子さんをはじめ聖路加病院及びその周辺の戦前、戦中、戦後を知る多くの人が参加され、貴重なお話を聞く機会となった。
出席者は過去最高の44名であった。




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